高校時代

高校に入学した時期は都立高校全体の地盤沈下の元凶だったといわれる学校群という制度の実施前の最後の時期で、都立高校が全盛の時代でした。


学校群という制度は加熱する有名都立高校への受験戦争を緩和し、都立高校間の格差を是正して、受験戦争を緩和したいという、当時の小尾教育長が発案したもので、年々制度が厳しくなり、その結果、都立高校間の学校格差の均等化が達成されるのと引き換えに、都立高校全体が地盤沈下していきました。そして、都立高校への入学インセンティブが失わていき、受験生は私立高校へと流れていきました。


これは平均化という政策がよくないことを示すいい例ではないでしょうか。平均化してみんなが同じという世界は想像上では理想郷のように聞こえますが、それはあまりにもきれいごとすぎ、競争を失った世界では衰退があるのみです。機会を平等にして、十分競争し、勝者は勝者として認め、敗者にはそれなりに手当てを行うという社会が、社会を活性化していくものだと私は信じています。


それまでの都内の高校のランクでは都立の日比谷、西、戸山、新宿が中でも群を抜き、小石川、両国、上野などが後に続いていました。私立高校では麻布、開成といったところですが、これら私立高校の生徒たちは、開成は一部高校からも入学生を採っていましたが、中学からの入学者が基本で、小学校で猛勉強し、受験戦争に早くから勝ち抜いた人たちでした。そのほか国立系では、教育大付属、教育大付属駒場、学芸大付属といったところが都内の中学生である受験生が当時目指した高校でした。早稲田高等学院や慶応日吉、慶応志木などの大学付属高校も大学の受験戦争を避けられるということから、中学生の間では人気があり、行きたい高校の対象となっていました。


私は幸いにもこれらの都立高校の中の一つに、引っかかって入学できましたが、合格できたことを本当に喜んだものでした。入学して回りをみると、優秀そうな人たちばかりで、気後れしました。


初めての国語の授業で、かなりお年を召した(と思われる)小島先生という女性の先生が「中学のころは玉石混交だったけれども、入学された皆さんは玉ばかりです。」と生徒を褒め称え、そうかと妙に納得したものです。


そこでは生徒と教員全体が一流大学を目指して、突き進むという雰囲気でした。そこでの一流大学とは東大、東工大、一ツ橋、ちょっと下がって京大、阪大などの旧帝大のことで、その他の国公大、私立大は早稲田、慶応でさえ受験戦争に敗れたものが行くところだという、今から思えば傲慢な思想が蔓延していました。(と思います。個人的な感想です。)


次回は実際の高校生活を振り返ってみたいと思います。

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