高校時代2

進学校といわれた高校に入学したからと言って、勉強だけしていたわけではもちろんありません。


高校にはグランドが2つあって、一つが第一グランドといわれた校舎前のグランドで、そこでは朝の全校生徒による朝礼や、授業の間に行われる業間体操、バレーボールなどの球技の場となったりしていました。第二グランドはその横にあってかなり広いグランドで、1,500m走やサッカーなどが行われたりしていました。それに加えて通称第三グランドという、大きな声では言えない広い敷地がありました。それは隣接する新宿御苑です。学校と御苑の間にはコンクリート製の塀があるのですが、みんなで塀の下に人がやっと通れるぐらいの穴を開け、事実上、出入り自由になっていました。時々学校に苦情が来て穴は修復されるのですが、いつかまた穴が開けられるという状況でした。朝礼で「穴を開けてはいけません。」という通達がされるのですが、実際のところそのような注意は有名無実で、誰も真剣に穴あけをやめようという気はないようでした。この高校の生徒である特権であるかのように考えていたような気がします。もともとは新宿御苑の御料地に建てられたという経緯もあったようです。


私も何度も穴をくぐって新宿御苑に出入りしたものでした。しかし我々が卒業して数年経ってから、新校舎が建てられ、そのような“特権”は消滅してしまったようでした。その当時の校舎は学校開校翌年の1922年(大正12年)(開校後1年間は現在の竹早高校、当時は府立第二高等女学校)に間借りしていたとのことです。)建てられた校舎で、講堂には天皇皇后両陛下の御尊影を飾っておくスペースがあったり、日露戦争における日本海海戦の旗艦三笠の鐘を飾っていた鐘塔があったり、昔の影をその当時まで残しており、大変風格がある校舎でした。三笠の鐘は米国に接収されるのを恐れた誰かが、隠したということになっていますが、今もって行方知れずとなっています。


我々が卒業した1967年(昭和42年)には校舎は既に建築後45年経過しており、50年を機に建て直そうということになったのだと思いますが、その新校舎も現在は建て替えられ、今は3代目の校舎となっており、昔の面影は全く残っていません。現在の校舎を訪れても全く感慨はありません。東京人の悲劇でしょうか、昔を偲ぶものが何もないのです。


次回は高校時代の時代背景について少し書いてみたいと思います。

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