ポメロの産地

イポー郊外のポメロの産地として有名なタンブンの住民に対するインタビューの記事を紹介します。具体的な記事は下記を参照してください。


https://www.thestar.com.my/metro/metro-news/2017/12/22/thriving-in-tambun-the-humble-pomelo-is-synonymous-with-this-small-town-and-grows-well-on-former-min/#20BCo24sZiZ91TRC.99


引用はじめ
タンブンは主として農業地域ですが、何と言ってもポメロです。カンプンバルー タンブン村の村長(63歳)は次のように語っています。「1960年代に、果樹園にポメロを植え、近くのウル ピアに乗馬に出かけたものでした。当時の首相だったマハティールがポメロを植えたことから、ポメロがすぐに有名になりました。一晩でイポーから約10kmのタンブンの道路沿いにポメロの売店が次々にできました。


それからそんなに進展したというわけではありません。1960年代のいい時代に、事業家のロ-ク ヨウ テンが香港の映画スターをタンブンに招待しました。現実にチャン ポー チョーやシュー フォン フォンなどを見て、とても興奮しました。


ポメロは香港、シンガポールへの輸出を始めましたが、生産には限りがありました。土地の問題がネックになりました。タンブンの約90ヘクタールの土地がポメロ生産に使われ、133の家族が関りました。しかし、その半分だけがタンブン選出の議員の助力で、農地の所有権を何とか獲得しました。しかし他の人の運命は宙ぶらりんでした。」


30年にわたり、ポメロを生産してきた農家のフーン コック ピンは次のように言っています。「最近、農業観光がますます人気になっています。しかし、少なくとも1.6ヘクタールの農地がないと採算に乗りません。私を含めて殆どの農家は0.4ヘクタールから0.8ヘクタールの農園しか持っていません。」


毎日訪問者に農園を公開しているのは73歳のチン トー カムが所有しているゴー チン ポメロ園だけです。公開時間は午前9時から午後6時の間です。彼の妻のリンさん(70歳)は語っています。「訪問者にはマレーシア人も外国人もいます。彼らがネットに投稿してくれるので名前が知られるのに助かっています。もう20年以上ポメロを作っています。」


20年以上農園を経営している農家のチョー シィウ ミン(56歳)は言います。「多くの若い人はポメロつくりに熱心ではない。費用はかさむし、値段は変動するしですから。」


コー メン ワイさん(69歳)は子供が5人おり、40年以上事業を行ってきました。1999年まで、農園で豚を飼ったり、ポメロを育てたりしてきましたが、近くのウル ピアでの疫病で豚が全滅しました。それ以降、ポメロに専念しています。30代の息子の1人が農園を手伝っています。暮らしの足しに、ダックも育てているということです。


医薬品としてポメロの知識を何年もかけて獲得してきました。「KLから来た女性がポメロの枝に育つ果実を探しに来ました。それが子宮がんの治療に使えるかもしれないと言っていました。大腸がんの治療への有効性に付いてに意見交換も行いました。しかし広東語でウォン トックと呼ばれるその果実は健康な人には毒になるかもしれない。」


1948年から1960年の緊急事態の時代にできた他の多くの新しい村と同様に、タンブンは若者が仕事を探して、シンガポールやクアラ ルンプールに行ってしまい、活気のない町になっています。リュー シン ヨーン(79歳)とその妻リー ヨーン ノーク(72歳)の夫婦は村に留まっています。5人子供がいて、3人はKLに住んでいます。すぐ近くの道路沿いにあるコーヒー ショップを娘と義理の息子が経営するのをリューさんは手伝っています。


チャンさんは二輪車店を経営し、その妻シンディ ウォン ヨーク チャンは弁護士です。3人子供がいて1人はシンガポールに住んでいます。タンブンのポメロのように、村民も当時のマラヤに彼らの祖先の到着以来、4世代、5世代にさかのぼって、長い歴史に誇りを持っています。
引用終わり


錫鉱山の労働者として移入された今の中華系の人たちが、労働者から農園経営者になったいきさつは判然とはしませんが、イギリスの植民地、マラヤ連邦を経て、マレーシアになった今も、しっかりと根を張っていることにはたくましさを感じます。



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