会社員時代

大学を卒業した昭和47年(1972年)は,私が入社した会社では、その前年の昭和46年に次ぐ300人を超える新卒者が一般社員として入社しました。


事務職といわれる女子社員はその半分ぐらいだったでしょうか、同期として入社しましたが、今から考えると男女の区別ははっきりとしており、待遇は全く違いました。今は一般社員にも女性がどんどん採用されていますし、事務職という職種は現在では派遣社員に取って代わられ、事務職という呼称自体もなくなっているかもしれません。人事に関するさらなるデータ開示は社内秘密になると考えられるのでこれ以上の公開は控えます。


そのころの商社に対する世間の見方は、商社は会社間の取引に介入して口銭を取るだけで何の機能も果たしていないという商社不要論と、ラーメンからミサイルまであらゆる事業分野に関与して産業をリードしていく開発者(デベロッパー)としての評価との両論がありました。どちらもある一面をだけを突いていて、群盲象をなでるようで、どちらも一面的過ぎるような気がします。


機能がなければやがて排除されていきますし、開発者として働いていくにしても、成功するまでには地道な努力と、長い時間がかかり、一方で日々の利益は確保しなければならないという営利会社としての宿命をも背負っているというなかで、日々働いていたように思います。


わが社は自由闊達が建前なしの社是であり、会社が定めた権限規定の中で、稟議書を自ら発議し、許可が出れば自由に行動ができたといういい会社だったと思います。社員一人ひとりが中小企業の経営者のように行動していました。


浮利を追わないことも会社の社是であり、投機などはもってのほかで、必ず保険をかけ、一か八かの行為は厳に戒められていました。


そんな慎重な経営方針をとってはいても、中東の政治情勢の変化で会社が大きな損失を蒙ったことがあり、それは会社の危機でもありましたが、何とか事業を継続でき、ここまで来ました。


やがて訪れたバブル崩壊時には、“浮利を追わない”、という会社の大方針があったためか、株、土地などの投機に走らなかったおかげで(一説には中東の損失で投機に走る原資がなかったという説もありましたが)、国内の取引先には大きな影響があった会社もあったものの、会社自体の業績には軽微な影響しかでませんでした。それでもバブル崩壊で国内事業環境が大きく変わったことで、それ以降の業績には影響がでました。


ごく最近の話をすると、石油、鉄鉱石などの資源価格の大幅な下落で、商社が赤字になったり、収益の大幅な減収が伝えられていますが、資源確保の宿命を負っているわが国の弱みが露呈した結果だと思います。資源確保のためには長期にわたる購入契約が必要で、その権利を買わなければなりませんが、購入した長期契約の対価が資源価格が下落すると、契約の価値が下がってしまうことになります。決算時には価値が下がった長期契約という資産を減損処理しなければならず、その減損額が大きく足を引っ張ることになったようです。現在、国内の殆どの会社が採用している国際会計基準では、すべての資産は時価評価しなければならず、それまでのわが国の会計慣行で認められてきた、含み損とか、含み益の概念はもはや通用しなくなっています。ですから、公表されているCPAの適正意見付きのバランスシートは信用性が高いということは言えるでしょう。


次回は会社を早期退職をしたあたりにすこし触れてみたいと思います。

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