会社員時代とそれから

再就職した会社の雰囲気に触れておきます。


私はメーカー勤務の経験が今までなく、また株式会社とはいっても全株式を一族で保有する個人企業に勤務した経験がなかったので、会社の雰囲気が今までの会社と全く異なることに戸惑いました。社長はオールマイティーでした。


意思決定権は現地にはなく、現地法人の社長は本社でいえば部長か課長クラスで、経営方針に関する指示はすべてトップダウンで東京の社長から来ました。現法の社長の役割は工場を円滑に運用する工場長またはそれ以下の立場でした。


それと技術職と事務系職員の目に見えない根深い対立もありました。私が担当した財務の仕事でも、今までのやりかたを変えようとすると、強い抵抗にも直面しました。


なれない社風に直面して、このままここでやっていけるのか不安を感じていたというのが率直なところです。勤務を続けても、続けなくても経済的にはあまり変わらないという背景もあり、なるべく早めに退任しようと思い始めていました。


第二の会社を辞める日はやがてやってきました。雇用ビザの有効期間があと1年ありましたが、退任することにしたのです。それが59歳のときで、企業年金と厚生年金の所得割りの支給が開始される60歳まで暫くありましたが、それはそれでしのぎました。会社を辞めることになったときは、入国管理法上、雇用ビザを直ちにキャンセルして出国しなければならないというのがルールですが、雇用ビザを当面残したまま、MM2Hビザ取得の準備を始めました。厳密にはルール違反です。しかし会社を辞めているという実態は外部からは認識することは難しいので、ルール違反を立証することは難しいでしょう。


MM2Hビザ取得の経緯についてここで触れて起きます。ちょうどそのころ、MM2Hビザをエージェントなしで直接取れるように制度の改定があり、それで自分で書類の作成を始めました。さらに会社の用意してくれていた住居にいつまでもいるわけにはいかないので、KL市内で住むところを探し始めました。今後住むところも決まり、MM2Hビザ申請の準備も整い、そこで2009年の3月末付けで雇用ビザをキャンセルし、同日の帰国便の予約を行いました。雇用ビザのキャンセル申請時に帰国便の搭乗券のコピーが必要だったかと思います。雇用ビザのキャンセルといっても自分の意思だけでできるものではありません。雇用ビザを申請したのは会社ですから、会社から雇用を打ち切る旨の書類を出してもらうことが必要です。会社が雇用をキャンセルしたという書類が出た段階で対外的には初めて雇用が打ち切られたということになります。


MM2H申請時点では、既に今後住む所も決まっており、銀行口座は勤務時の口座をそのまま使用できる状態だったので、その点は助かりました。


雇用ビザのキャンセルにより、マレーシアから一度出なければならなくなり、日本に帰国してMM2Hビザの申請結果を待ちました。2009年の5月4日付けでMM2Hビザの許可がおり、5月12日に再びマレーシアの地を踏みました。(この辺の日付けはパスポート、観光省からのレターをみれば分かります。)暫く期間をおいて7月11日に当時PWTCにあった観光省でMM2Hビザを取得しました。これでパスポートの有効期間の3ヶ月前まで、マレーシアに滞在することができるようになりました。再びマレーシアの地を踏んでから、ビザ取得までの2ヶ月の間、既に入会していたKLGCC(現TPCKL)でのプレーのほかにMM2Hビザ取得者を中心としたゴルフの会などにも入れていただいたり、ゴルフ三昧でした。


次回はMM2Hビザ取得後のKLでの6年間を振り返ってみたいと思います。

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