バンサーでの生活

6年間のMM2Hビザ取得後の生活を振り返る前に、比較のためそれ以前のKL(バンサー)での生活を振り返っておきます。


バンサーではバンサー ショッピングセンター(BSC)のはす向かいのコンドに住みました。そのコンドは当時築後10年ほどたっていましたが、メンテナンスが比較的行き届いていて、建物内も外も美観は維持されていました。プールもきれいで、メインのプールのほかに、ジャグジー付きの温水プール、サウナもあり、欧米系の人を中心に、プールの周りの木陰に設置された長椅子で多くの人が休んでいるといったリゾート地のような雰囲気がありました。各種売店やマッサージの店がプールを取り囲んでおり、簡単な飲み物のオーダーを受け付ける店員がいて、オーダーすると飲み物を届けてくれていました。それでも中には客が少なくて(?)、閉店してしまっている飲食店などもあり、総じて店舗の経営は採算的には継続するか閉鎖するかのすれすれの状況に思われました。


BSCに行くには、車は使わず、コンドの裏口からジャラン マーロフを横断して歩いていくのですが、歩行者用信号が青になるまでに長い時間を要し、且つ歩行者用信号の青の間隔が異常に短く、歩く人への配慮が感じられない信号で、しかも時々故障しているという代物でした。


当時BSCには日本食レストランとして“竹の花”という和食店や大衆中華レストラン チェーンの“エスカイヤー キッチン”、タイスキの店、あと名前は失念しましたが高級中華レストランなどのレストランが入っていました。今はこれらの店のどれも撤退してありません。当時からまだ残っているのは入り口にある2件のコーヒー ショップぐらいではないでしょうか。マレーシアではどこでもそうかもしれませんが、店舗の回転が非常に早いです。“行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、且つ消え、且つ結びて久しく留まりたるためしなし。”が容易に実感されます。


そのころBSCの裏手に大規模なコンドの建設が始まろうとしており、完成すれば高級コンドになることが予想されていました。コンドの裏手から出て少し坂を上ると絶景が見られました。ツインタワー、KLタワーが一望でき、大きな邸宅が軒を連ね、高級住宅地の雰囲気がありました。経済的に許されるならば住んでみたい地区の一つではあります。


会社の休みは隔週土曜日と日曜日でしたが、殆どの買い物はBSCだったと思います。KL中心部に行くには道が混むし、当時はカーナビもなく道も分かりにくく、KL中心部に出かけることは殆どありませんでした。


ゴルフについては会社から割り振られたカジャンヒル(今は当時のディジャヤ、現トロピカーナに買収され閉鎖)のほかに住まいの近くのKLGCC(現TPC KL)の会員権を個人的に購入していましたが、コースに出るのは月に1度か2度ほどのペースで、KLGCCのドライビング レンジで休日は練習していました。土日は2人プレーが原則的にできないためということもあったと思います。


KLGCCについていえば設立は1997年で、シンガポールとマレーシアの企業の合弁でスタートしましたが、立地条件がいいというほかはどうということのないコースだったところ、サイムダービーに買収され、コースの大規模な改修があり、今では見違えるコースになっています。


勤務している時期は時間的な余裕がなく、会社に殆どの時間が取られていました。自由な時間を満喫するのは会社勤務から開放されてからということになります。次回は自由になった時間をKLでどのように過ごしたかについて書いていきます。

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