PHの組成事情
マハティール首相誕生の逸話に付いての記事が掲載されていますので、紹介します。
記事の原文は下記URLを参照してください。
http://www.thesundaily.my/news/2018/05/25/nurul-izzah-stopped-mahathir-quitting-pakatan
引用はじめ
現在,国をリードする仕事を託された人物は、殆ど投げ出していたので、前政権に代わる今の体制は殆ど実現しなかったかもしれないのです。
昨年、PKRの副総裁であるヌルール イザー アンワールの個人的説得があるまで、マハティールはPH(希望連盟)から出て行こうとしていました。
DAP(民主行動党)の戦略家であるリュー チン トンはオリエンタル デイリーとのインタビューで次のように語っています。
「マハティールはPPBM(統一プリブミ党)総裁のムヒディンに党をPHから抜ける手紙を昨年書きました。手紙を書いた後に、ハリラヤの休暇で彼はロンドンに発ちました。
PHの指導構造に関する意見の違いがかなりありました。PHを構成する4つの党の意見は纏まりませんでした。ヌルール イザーはマハティールに会ってPHに留まるように説得するために、急いでロンドンに行きました。
社会登録規則上、PHを党として登録するために必要となる党の指導体制や代表者を決定できず、PHは膠着状態になっていました。第14回総選挙でPHが統一したロゴの下で闘うためには登録が必要でした。ロンドンでの会議の後、PHはマハティールを会長として登録し、ヌルール イザーの父親であるアンワールを実質的なリーダーとし母親のワン アジザをPHの総裁としました。マハティールとヌルール イザーの会談は歴史的な会談であり、これで全てが変わりました。」
ヌルール イザーにこの間の事情を尋ねると。「秘密のままにしておきましょう。」としか答えませんでした。
引用終わり
このままでは国が崩壊するという危機感を持った人たちが立ち上げたPHですが、それを構成する諸党はPKR(国民公正党)、DAP(民主行動党)、AMANAH(イスラム政党PASの分派、国民信任党)、PPBM(統一プリブミ党)の4党で、それぞれ生い立ちが違い、統一して、戦う素地はなく、反BNだけでできた連盟だという見方もできるかもしれません。
特にマハティールとアンワールが手を組むということは想像を絶する事態でした。アンワールの奥さんのワン アジザも当初は強く抵抗していたようですが、周囲の説得に、手を携えることに同意したという話も伝わってきています。内閣の布陣を見ても、各党に配慮したことが分かります。