学友の逝去の知らせに寄せて

大学時代の親友あったA君が亡くなったという連絡が、少し前に大学時代の仲間の幹事のような役目をやっているK君からありました。亡くなってから2週間ほどあとで奥様から、連絡があったそうで、奥様の希望で家族だけで静かにおくりだしたかったので、あえてどこにも逝去の連絡はしなかったということでした。


同君とは大学入学以来の友達でした。入学とともに理系も含め全員が教養学部に配属され、選択した第二外国語によって、クラス分けされるのですが、我々は、将来進学することになる法学部と経済学部に進学することが予定されている1,000人が各50名の25クラスに編成され、同じクラスになった50名は入学後も付き合いが続いていくということになります。


A君は法学部に進学し、私は経済学部に進学したので、専門学部に移ってからは同じ授業を受けることはなくなりましたが、それでも道路を挟んだ向かいにある喫茶店でよく落ち合ったものでした。


教養学部時代はA君は遊び仲間でした。特にマージャン(徹マンも)、ボーリング、トランプ(学生開館でナポレオンをよくやっていました。)居酒屋めぐりなど、よく一緒に遊んだものです。


同君は司法試験と公務員試験を狙っていましたが、両方とも合格し、司法界に行くものとばかり思っていましたが、公務員の方を選択し、当時の労働省(現在の厚生労働省)に入省後、イギリス大使館付けの英国駐在になって英国に滞在しました。職業安定局長を最後に退官し、所謂天下りで、省の傘下の事業団の理事長を務めていました。


同君と最後にあったのは5,6年前でしたが、そのときは事業団が仕分けの対象になっていて、「いろいろ言い訳を言って存続している。」と言っていました。そのとき既に、学生時代のふっくらした面影が少し変わっていて、白髪が目立ち、顔がやせて見えたので、健康状態を心配したのですが、「年をとってくるといろいろ悪いところが出てくるよ。」と言っていました。若いころは酒が好きでよく飲んでいましたが、最後に会ったときは酒は殆ど飲まず、脂っこいものが駄目な様子でした。其処から察するに、肝臓を悪くしていたのかもしれません。


本省の局長まで勤めた人間が家族葬で送られる時代です。葬儀に対する考え方の変化があります。葬儀というと、亡くなった人のことを知らない人まで葬儀に動員され、派手に行うものという考え方がある一方で、その考え方は徐々に変化してきているようです。


90歳を迎える人が珍しくなくなった現代では、葬儀は家族葬の形式が増えてくるのかもしれません。形式にとらわれるより、そのほうがいいと思います。

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