マレーシアでの生活について1

まだマレーシアからの撤退には4ヶ月弱ありますが、過去を振り返り、マレーシアでの生活はどうだったのかを総括しておきたいと思います。


マレーシアに来たのは2007年の春でした。会社を早期退職したのが59歳で、次の就職先が決まっていて、自分で希望したこともありますが、赴任先がマレーシアでした。居住したのはバンサーで、勤務地のバンギの工業団地まで30分ぐらいの通勤時間でした。運転手をつけてくれていたのですが、1ヶ月もすると慣れてきたこともあり、運転手を断り、自分で運転して通勤しました。運転手が居るとプライバシーがなくなり、かえって鬱陶しくなります。


2年でこの会社を退職し、MM2Hビザの取得を目指しました。その当時、エージェントを通さず、自分でビザを申請する道が開かれたので、自分で申請することにしました。ネットを活用し、当時いろいろな人が情報発信していたので十分活用させてもらいました。収入を証明するため、公的年金のほか企業年金も合わせた収入証明を弁護士に依頼しました。弁護士を見つけたのもネットです。ネットは本当に活用させてもらいました。当時日本人でSさんから、ワーキングビザが残っているとMM2Hは申請できないので、ワーキングビザは打ち切る必要がある、というアドバイスをもらい、そのため、バンギの旧勤務先に書類を書いてもらい、ワーキングビザを打ち切りました。それと同時にMM2Hの申請書類を、PWTCにあった観光省の窓口に提出しました。当時窓口には日本人のTさんという女性が居て、親切に対応してもらいました。


ビザがなくなると、マレーシアを出国しなければならず、社宅扱いとなっていたバンサーのコンドを出て、10分もかからないところのセプティエに新規に住処を見つけて荷物を移動し(そのときお世話になったのがSさんです)、一度日本に帰り、申請の許可をまちました。


許可が下りたのは、申請して3ヵ月後ぐらいだったと思います。


振り返ると、多くの人の助けがあって、いろいろなことが成し遂げられたのだと思います。


MM2Hビザ取得に当たっての話だけになってしまいましたが、長くなったので実際の暮らしについては稿を改めることにします。

×

非ログインユーザーとして返信する