子供のころの思い出2

キタオリ君のことであと覚えて得るのは、家に遊びに行ったとき発見したのですが、テレビがあった事です。昭和30年にテレビがあったというのは相当珍しく、今から思えば、きっと裕福な家だったのでしょう。


昭和30年のテレビ局としてはNHKと日本テレビそして東京放送(現TBS)がやっと開局したぐらいのときで、それも一日中やっていたわけではなく、ほとんどの時間はテストパターンという丸い円の画像の試験放送がされている状態でした。しばらくするとテレビも徐々に普及し、学校での話題もテレビ番組が中心になっていきました。

テレビについての思いでは、小学校低学年のころでは、家のすぐ近くにあった日本テレビの街頭テレビでみた力道山、当時は自由に入れた日本テレビのスタジオの中で見た大相撲、テレビを購入後では東京放送(6チャンネル)でやっていた月光仮面が待ち遠しかったこと、小学校高学年に入ると、ミツワ石鹸提供の名犬ラッシー、名犬リンチンチン、ローンレンジャー、ララミー牧場、ビーバーちゃん、ローハイド、パパは何でも知っている、などのアメリカのテレビ番組の日本語吹き替え番に夢中でした。


ラジオ番組からテレビにも移行した少年探偵団や赤胴鈴乃助はテレビになって期待はずれだった印象があります。


中学校に入ってからも同じような傾向で、テレビについてはよく覚えているのですが、私立の難関中学に入ろうとしている人たちはよく勉強していたようですが、そのような予定のない自分は勉強をした記憶はほとんどありません。


中学に入ってからの話ですが、ララミー牧場はまだ続いていて、その主演の一人だったジェフ役のロバートフラーが来日したことがありました。彼が泊まったのが赤坂プリンスホテルでそのすぐ前に我々の中学があり、ちょうどクラス替えの時期で、クラスごとに記念撮影をやっていたところにロバート フラーが現れ、一クラスだけですが記念撮影に参加してくれたということがありました。私はそのクラスではなかったため、とてもうらやましかったことを覚えています。


こまごまとしたことを思い出すまま書いていますが、次回も引き続きもう少し過去の思い出を書いてみたいと思います。

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