高い交通費

日本に住んでいると公共交通機関の費用の高さを再認識させられます。サラリーマン時代には交通費は会社負担だったので、自分で交通費を払うことはなく、交通費について考えたことはありませんでした。


私の子供時代は交通費が安く、その時代の感覚でいると、あまりにも高いことに驚愕します。子供時代の交通手段は、都電、国電でしたが、いずれも今は廃止されたり、経営主体が変わったりで、大幅に料金体系も変わっています。都電は早稲田/箕輪間だけは現在も運用されてはいますがそれを除いて廃止されました。トロリ-バスなどと今では跡形もない運送手段もありました。都電は覚えている限りでは一律どこまで乗っても大人15円でした。乗り換えの場合は乗り換え分の切符を無償でくれたように思います。


網の目のように張り巡らされた都電網に代わって登場したのが地下鉄です。日本最古の地下鉄は銀座線でその次に出てきたのが丸の内線でした。1950年代の後半のことだったと思いますが、丸の内線の登場で運賃が急に高くなったことを感じたものでした。丸の内線は荻窪/中野坂上から池袋を結ぶ線で、そのころの運賃は確か50円だったと思います。国電が10円だったので、急激な値上がりを感じたものです。日比谷線、東西線、千代田線、ぐらいまでは開業したのを覚えていますが、その後どんどん路線が増えていったのははっきり覚えていません。公共交通機関は充実しており、都内を移動するにはこれらの公共交通機関を使えば十分です。近郊には私鉄も走っており、JRとの接続、地下鉄との乗り継ぎで、車は不要です。


今、車を所有する若者が減っているという話をよく聞きますが、東京では車はある面では足枷になるばかりで、車がないほうが機能的に動けることを考えれば車を待たないほうが合理的かもしれません。近い将来、空飛ぶ車が実用化されたり、完全自動運転が可能となったりする時代がくればと思いますが。


公共交通機関に頼れない地方にいれば、車は必需品しれません。住む場所によって交通手段の要否は出てくるので、多様化の表れです。


交通費の高さは、スイカ、パスモによるキャッシュレス化で感じにくくなっている面があります。残高の減少速度の速いことで高いことに気づくだけです。現金を実際に払わないと、高い、安いの感覚が感じないという側面があります。


交通関係のキャッシュレス化は日本よりもマレーシアの方が早いかったと思います。マレーシアのタッチ アンド ゴー、日本のETCはどちらが早いかと言えば、少なくとも普及度はマレーシアが先だったと思います。なぜそうだったかと言えば、日本には単純労働の供給力が十分にあり、自動化を進めるインセンティブがなかったためだと思われます。人口減による日本の労働力の逼迫化に伴い、今は機械化が進んでいます。レストランの注文取りのロボット化、店のレジのキャッシュレス化が進み、労働のロボット化が人間の単純労働を解放していくことが予想されます。


人間の労働の形は今後どうなっていくのか予想することもできません。富をどのように作り出していくのか今は想像することもできません。AIと人間の関係がどうなっていくのか?思考は際限なく続きます。

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