リユニオンの夕食に寄せて

2月15日は陰暦の12月30日にあたり、大晦日ということになります。この日の夕食は中国人にとって、家族が一堂に会する大事なものです。ひょんなことから、この席のご相伴に与ることになりましたので、その体験談を記載させていただきます。


2月15日はカレンダー上は平常日ですので、各地に点在している家族の構成員は、勤務終了後、夕食時間を目指して集まってきます。


場所はイポーの閑静な住宅街で、いわゆるデタッチトといわれる、独立した一軒家です。家のオーナーは71歳で、ジョホールバルで勤務しており、その家には普段は娘さんと甥の方が住んでいるそうです。甥の方は結婚していますが、奥さんは仕事を持っており、近くに住んでいて別居しているそうです。奥さんが外に出て働くことは通常のことで、むしろ働かないほうが珍しいという状況にあります。夫の稼ぎだけでは生活できないから、といいますが、妻が能力を持っていながら、家庭に閉じこもってしまうのはむしろもったいないということなのでしょう。生き方はさまざまです。


突然、日本語を教えられないか?と家長に聞かれ、話を聞いてみると、日本語を教えていた先生が、日本に帰ってしまい、習いたい人がたくさんいて、困っているということでした。どこかほかでもそのような話を聞いたことがありますが、日本人は日本で恵まれすぎて、あまり外に出たがらないのかもしれません。それだけ、日本の海外でのプレゼンスは減っていくことになりますが、これはいかんともしようがありません。


夕食のスタートは午後7時ということでしたが、民族移動の渋滞もあり、若干遅れて夕食が始まりました。夕食を待つ間、中国の正月のデザートである、パイナップルを形どったクッキーや、ピーナッツのクッキー、乾燥した肉の燻製などをいただきました。


集まってきたのは家長ご夫妻のほか、その子供たちや孫たち、子供たちの配偶者などで、最長老は家長の奥さんの妹の旦那さんの父親だという90歳の方で、その方はカラオケで日本の歌を歌うのが好きだと言っていました。遠くは香港、オーストラリア、シンガポールからも駆けつけた人も居り、総勢20人を超えていました。一度にそろってテーブルに着くのは物理的に無理なので、順番に食べ終わった後に、次の人と交代するという感じで食事が進められました。料理は手作りだと思われ、様々な種類の料理が出されました。人数の多さと料理の種類からみて、相当な時間と費用を掛けて造ったものだと思います。


集まったのは家長の側の人たちが多く、その妻の側の家族を合わせると、本当に大家族になるというようなことを家長が言っていました。


日本では、このように家族が集まることもはだんだんと少なくなっているように感じます。子供が働くようになると親元を離れて独立して住むようになって、親元にはなかなか寄り付かないようになり、再結集するという機会は、家族の結婚式か葬式、法要のときしかないという日本の現状について、何故だろうという話になりました。


第二次大戦前までは、盆とと正月には家族が集まり、それは戦後暫くは続いていましたが、だんだんそのような機会が減っていったということになるのでしょうか。家督を継ぐという意識が希薄になってきたのもその原因の一つかもしれません。“家”という概念が占領政策で叩き壊され、個人がばらばらにされたということになるのではないでしょうか。それを支えている一つが、高率の相続税の存在だと思います。戸籍も以前は結婚しても、一つの戸籍の中に入っていましたが、今では結婚すると戸籍が別になり、戸籍上でも個人がばらばらにされています。血筋を分かりにくくするというのが目的なのでしょうか。


そのようなことを考えさせられた大晦日のリユニオンの夕食でした。

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