過去を振り返って

このブログのカテゴリーは”マレーシア情報”に分類されていますが、実際にお得となるようなマレーシアの実利的な情報提供を目的としているものでなく、マレーシアに在住する引退者の雑感を綴っていくことを目的としていますことを予めご承知願います。


今回は自己紹介の補足として私の過去について振り返っておきます。


私の生まれは東京都内で、小学校から大学まですべて東京都内です。大学の最初の2年間は教養課程受講のため山手線の少しだけ外に出ましたが、それ以外はすべて山手線の内側でした。小学校、中学校までは外堀の内側(千代田区)でした。


今から振り返ると、小学校時代である、昭和30年代は日本が復興に向かって着実に変化していく時で、半蔵門から四谷に向かう甲州街道沿いは大きな建物は全くない状態で、最初にできたビルは麹町5丁目あたりにできた共済ビルでしたが、そのころから甲州街道沿いはこれからビルが次々に立っていくといわれていました。


当時はテレビ局がそれぞれ独自にテレビ塔を持っていた時代で、民放テレビとして最初にできた日本テレビは三番町のテレビ局前に鉄塔がありましたし、NHKは当時の赤坂プリンスのすぐわきに鉄塔があり、東京放送(現TBS)は赤坂に鉄塔がありました。フジテレビが開局したのが昭和33年か34年あたりだと思いますが、それから各局の送信が東京タワー1本になりました。それまではテレビの映りが悪く、人物がぼやけて移り、二重三重になって幽霊のように映っていたのが、東京タワーができてから、鉄塔の高さが高くなり、よく映るようになったといわれたものです。


年を重ねると今までの来し方を振り返って見たくなるもので、このような雑念に付き合わせてしまい申し訳ありませんが、次回ももう少し過去を振り返ってみたいと思います。

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