墓の問題

3月21日はお彼岸の中日で、日本では祭日です。


マレーシア情報のカテゴリーに入れるべき問題ではないことは承知していますが、海外に住む人の共通の問題でもあると思われるので、掲載させていただきます。


私の現在の日本の住居は東京近郊ですが、先祖伝来の墓は金沢にあります。明治維新で武士が失業して以来、住居(本籍も)を転々としてきましたが、金沢市内の墓はそのままになっています。


家系を辿ると、戦国時代以降の家系は、加賀藩に残されている“諸家由緒帳”でたどることが出来ますが、戦国時代以前の家系は全く分かりません。むしろこのような資料が残されている方が、ラッキーかもしれません。


思うに、応仁の乱以降、下克上の時代となって家系の重要性が喪失し、放置されてしまったと思われます。(これはあくまで推測です。)江戸時代になって、出自を明らかにして秩序を維持する必要性が増し、家系図作りが始まったのではないかと推察されます。


我が家の系図を辿ると、初代は戦国時代の後期から登場し、幕末まで“諸家由緒帳”で辿ることが出来、明治時代以後は戸籍によって家系をたどることが出来ます。しかし最近の戸籍は先祖が辿りにくいように形式変更されてきています。このままだと、子孫が祖先を辿るのが難しくなってくるかもしれません。


家督という言葉が死語になり、個人が中心の世界になっているので、時代に合わせての変更かもしれませんが、ちょうど中世の応仁の乱以後の世界になろうとしているかのようです。戦国時代以前の家系が分からないと嘆く子孫もいることを考えて欲しいものです。自分の先祖の人がどういう人だったのかを知りたくないということなのでしょうか。


さて、墓の問題ですが、寺に墓石があるのは、江戸時代中期の元禄12年(1699年)に亡くなった初代から数えて4代目の人からで、それ以前の墓石はありません。名前や没年は“諸家由緒帳”で分かっていながら、墓石がないということは、墓石を立てずに埋葬したのか、別の場所に埋葬されているのか、寺でも過去帳が消失していて分からないとのことです。(寺の言い訳として、火事があって過去帳が焼けてしまったというのはよく使われるようですが。)


墓石を立てることは、領主クラスは別にして、それ以前はなかったのかもしれません。


そのような背景を持つ墓ですが、金沢との地縁は遠のくばかりで、遠隔地のため、寺に行くのも、葬式や法事のときのみになりつつあります。自分の代までは何とか墓を維持したいと思っていますが、交通費を考えると新幹線、または飛行機で一人3万円ほどの出費になり、大勢で行くとなると、数十万円の出費にもなります。


子供からは近隣地に寺を引っ越すべきだといわれており、先祖とのつながり、寺とのつながりと墓参の容易さとの綱引きになりますが、子供たちの経済的負担を考えると、墓をそのままにしておくことを無理強いも出来ず、私の代で解決すべき問題だと認識しています。まだ私は体力的にも問題はないので、直近の問題ではありませんが、遠からず私自身が墓を移転する方向で解決すべきと認識しています。


このような問題に直面している人も多いかと思い、私のケースを掲載させていただきました。

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