古典を見る

突然、古典の話ですが、今の精神状態に合致しているので、ご容赦ください。


私の時代では、高校に入学すると、古典の授業が始まります。


そこで強要されたのは、日本の代表的古典の始めの節を全部暗記しろという指示でした。


代表的古典というと、平家物語、方丈記、徒然草、奥の細道、などです。そのときから60年近くたっても、いまだにかすかではあるものの、断片的ではあるものの、それが片隅に残っています。


その中で、現在の心境に合致するのは、鴨長明の方丈記です。平家物語の出だしも共通しているところがあります。


「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中の人と住処と又かくの如し。あるは、おおいえ滅びてこいえとなる。云々」


平家物語の冒頭は「祇園精舎の鐘の声。諸行無常の響きあり、はらしょうじゅの花のいろ、盛者必衰の理を表す。おごれるもの久しからず。ただ春の世の夢の如し。たけきものもついには滅びぬ。ひとえに風のまえのちりに同じ。」


マレーシアに2007年に来て、今は2023年ですから16年になります。この間に出会った人の中で亡くなってしまった方もたくさん居られます。ゴルフをともにした人の中でも思い出すのは、山中さん、中山さんの奥さん、三上さんの奥さん、チョロさんこと森さん、ニックこと川村さん、尺八の先生であった三原さん、などなど、です。


ご高齢になってからの出会いだったので、亡くなってしまった方がこんなに多いのも道理ではありますが、人生のはかなさを改めてかみ締めています。それで頭に浮かぶのは鴨長明の方丈記です。


私は今年誕生日がくれば、後期高齢者に分類される75歳になります。可能な限り健康寿命を維持し、医療のお世話になることなく、この世からいなくなりたいと思います。そのための努力を今後もしていきたいと思っています。

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