アロースターの3人の日本軍兵士の記念碑

スター紙というのはマレーシア中華協会(MCA)がバックにいる、中国系の英字紙ですが、その偏った報道の一端を紹介します。記事原文は下記URLを参照してください。
https://www.thestar.com.my/news/nation/2019/03/24/outrage-over-monument-to-remember-fallen-japanese-soldiers-in-alor-setar/#Iwaf1CYp5q0yBK4C.99


Quote
“クダ州アロースターに建立された、戦死した日本兵の記念碑が騒動となっています”


州の観光局は3本の大きな看板を掲げ、1941年の日本の占領時代に戦死した3人の日本兵を偲び新しく建てられた戦士の記念碑にて、彼らを英雄として称えています。記念碑はアロー スター橋に近いクダ川の川岸の小さな場所に立てられました。その場所はジャラン ラジャの州のマレーシア 観光 プロモーション委員会の近くでもあります。


チェン クダ州中華協会長は3月24日の記者会見で語っています。「日本総領事が、第二次世界大戦中に戦死した日本兵を偲ぶ記念碑を建てることを許可した州政府の判断は、適切ではなかった。日本の占領に対抗した犠牲者や兵士に対して配慮を欠いている。日本は戦中に戦死した3人の兵士を英雄として描きたがっている。


日本人の目から見れば、英雄かもしれないが、当時のマレーシア人の目から見れば、日本と闘っていたので、そうではない。


これは適切ではないので、州政府は正すべきだ。記念碑は第一級の場所に立てるべきではなかった。」


記念碑は日本の占領中に、アロースター橋の爆破命令を受けた朝井肇中尉を称えるために建てられました。同中尉は二輪車に乗って橋の爆破に向かいましたが、爆発が早く、同僚の金子伍長とともに爆死しました。もう一人の同僚である中山伍長は日本の侵略軍と連合軍との交戦で重傷になり、最終的には日本軍が橋を確保しました。


1942年2月15日に山下 奉文 将軍は11連隊の戦死した兵士に感謝状を贈りました。
Unquote


この記念碑には正面に“慰霊碑”と刻まれていて、碑の側面には「此の地に眠る先人をしのび 平和の思いをこめて この碑を建立する 平成三十一年 吉日 在ペナン 日本国総領事 鹿屋 真一郎」と刻まれています。



陸軍の記録を下記に貼り付けておきます。


「感状に輝く朝井小隊の戦闘経過は次の通りである。
 マレー東海岸に上陸した渡辺部隊は十二月十二日、英軍の誇ったジットラ付近の堅陣ド突破するや、直ちに快速オードバイ部隊である朝井小隊にアロルスターに急進させた。
 先遣の命を受けた朝井小隊長以下快速オードバイ部隊は、十三日午前九時四十分ジットラ南方二キロの地点を出発し、ジットラ、ケバラバタス、ブロルスター道を一路アルスターに向って驀進した。
 この時敵はアロルスター北方地区に一群の兵力を残置して日本軍の来攻を阻止せんとしたが、朝井隊はこの敵中を強引に突破し、同十時十分には確保を命ぜられた橋梁に到達、橋梁南側の三百の敵は、これを見るや不意に掃射を浴びせて来た。
 朝井小隊長は金子、中山両伍長に命じて橋梁南側の敵陣中に乗車突進させ、一方岡田上等兵をしてこの状況報告のため本隊に帰らしめ、自分も兵二名を率いて橋梁爆破の導火線を切断せんと弾雨下を橋梁目指して突進、導火線をまさに切断しようとするや、この時早くも敵はスイッチを入れたため、轟然たる音響の中に橋梁もろとも朝井小隊長以下三名は壮絶極まる戦死を遂げた。
 これを知るや金子、中山両伍長はひるまず、小隊長の命令に従って敵陣に突入、数名を刺殺、血祭りにあげたが、衆敵のため中山伍長は戦死、金子伍長は重傷、しかも生き残った五名の勇士は死闘を続けたが、戦車四両をもっ百名の敵から背後攻撃をうけ、破壊橋梁北側で力闘し、敵の戦車一両を焼き払い、遂に五名は壮烈な戦死を遂げた。
 しかしこの朝井隊長以下前記勇士の犠牲によって、敵を極度に恐慌壊乱させ、橋梁東側の鉄道橋の確保を容易にして、松井部隊の以後の追撃を有利にするに至った。」




スター紙の記事にはいくつかの偏向、誤りが見られます。


根本的な間違いは、日本はマレー半島では英国と戦ったのであり、マレー人とは戦ってはいません。ただしマレー半島に居住していた中国人は、日本軍に対して反撃をしてきたので中国人を敵としたという事実はあります。


英国から独立後の1957年以降にマレー人が国として独立し、その時点ではマラヤ連邦と称していました。マレーシア人という言葉は1963年以降のことです。第二次世界大戦中はマレーシアという言葉自体が存在していなかったのです。


独立のドサクサにまぎれて、マレー半島に移り住んでいた中国人がマレーシアの国籍を与えられましたが、今でも二級国民という位置づけになっているのは知る人ぞ知るです。


このスター紙の記事と同じテーマを扱ったサン氏の記事を比較して見てください。
サン氏の記事原文は下記URLです。
https://www.thesundaily.my/local/monumental-blunder-in-honouring-japanese-invaders-CN719510



中国人のでっち上げ話は枚挙に暇がないのですが、逆にマレーのトラといわれた日本人谷 豊さんの幼い妹さんが、日本と中国の開戦後、近くに住む中国人の群集に押し入られて殺され、首を切られて見せものにされた、という話を知っている人は多くはないかもしれません。

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