日本兵戦死者の記念碑続報

昨日紹介したアロー スターの記念碑に関しての、3月25日に於ける動きについて紹介します。記事原文は下記URLを参照してください。
https://www.thesundaily.my/local/kedah-govt-apologises-over-monument-mistake-HF722898


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“クダ州政府は記念碑についての誤りを謝罪”


クダ州政府は、3月25日に、「昨日、クダ州博物館の敷地内に出した3人の戦死した日本兵の記念碑についての看板に“英雄”という言葉を書いたのは技術的な間違いでした。」と謝罪しました。


州政府の青少年、スポーツ、観光、芸術、文化、起業開発委員会長は、マレーシア歴史社会のクダ支部およびクダ博物館理事会として、謝罪したものです。「記念碑の公開のために、看板と幟を準備した会社が、日本の領事館の情報を翻訳した際に、間違いが起こった。日本人にとって、戦死した兵士は英雄だが、我々にとっては、植民地主義者と看做される。」と彼は説明しています。


記念碑は第二次世界大戦が終わる前の1941年に建てられ、歴史を保存するために、最近改修されました。


記念碑公開の有害なメッセージは批判を生み、看板は昨日の夕刻に撤去されました。


“歴史を愛するマレーシア人民組織”というNGO団体はマレーシア人の感情から記念碑を撤去すべきだとKLで主張しています。同団体の会長は日本大使館に抗議文を渡した後、記者に語っています。「植民地主義者から国を守るため、亡くなった人の行為には感謝しなければならない。我々は植民地主義や共産主義を賞賛するどのような行為にも反対する。」
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今のマレーシア人にとって、マレー半島でイギリスと戦った日本をどのように見ているのかというのが問題になります。


イギリスの植民地となっていたマレー半島に住むマレー人にとって、イギリスと闘った日本人は解放者と見られたのでしょうか?そんなことはないと思います。イギリスに代わって、日本が新たな宗主国になろうとしているだけだと思われたはずです。


日本にとってのマレー半島での戦いは、イギリスを追い出して、マレー半島の資源を獲得するための闘いであったといわざるを得ません。客観的に見て、マレー人を解放するという崇高な目的はなかったと思われます。(マレー人を解放しても、日本にとっては何の利益もない。)


日本によるイギリスの駆逐はマレー人の独立のきっかけには結果的になったにしても、マラヤ連邦の独立はマレー人の手によるものです。日本が感謝され、英雄視されるいわれはありません。その意味では、第二次大戦中の日本の戦死者をバナーや立て看で”英雄”とすることに抵抗があるのは十分理解できます。

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