追憶2

追憶ついでに、サラリーマン時代の昼飯について、書いておきたいと思います。


会社に入って以来、その場所は何箇所にわたりますが、当初は港区の田村町でした。今、田村町という地名はなく、信号には西新橋となっています。


その時代に昼飯に行っていたのは、日比谷通り沿いの中華の店(本物の中華の専門店らしく、ものすごくおいしい店でしたが、名前は失念,多分四川飯店)、裏にあった日本そばの砂場(いろいろなところにありますが、その1店)などが印象に残っています。


転勤で名古屋にも行きましたが、そこで印象に残っていたのは、えびおろしうどんで、名古屋はなぜかえびで有名ですが、えびのてんぷらに大根おろしをぶっ掛けて食べるもので、昼食によく行きました。


その間に会社は大手町に移転。大手町は食が豊富でした。地下には社員食堂もあったのですが、そこには行かず、ほとんど外で食べました。東京駅方面の大手町ビルの地下街には、手の字という、うなぎやがあり、当時うな重が1,000円位で食べられました。中華のいわえんにはよく行きました。ジャージャー麺、高菜そばなど。新大手町ビルの中二階には、みみ久という日本そば屋があり、天ざる、天もりをよく食べました。もりとざるの違いは、海苔がかかっているかどうかというのが他の店の違いと思われていますが、ここはそうではなく、麺から違うのです。もりは色がやや黒く、ざるは白いのが特徴になっています。値段は100円ぐらいの違いだったでしょうか。ざるのほうはそば殻を抜いて製麺しているといわれていました。
反対側の皇居方面では、毎日新聞地下街の赤坂飯店にもよく行きました。激辛のマーボー豆腐定食は本当においしかったです。パレスホテルの地下街の奥の琥珀宮という中華も昼飯のコースのひとつでした。昼飯だからそんなに高価なものを食べるわけではありません。焼きそばとか焼きビーフンなどが多かったです。同じ地下街にある和田蔵という日本食レストランも昼飯コースのひとつです。


タクシーで会社から遠い神保町、小川町方面にもよく行きました。餃子のおけいという店とか、名前は失念しましたが、スパゲッティ屋とか。そこでアルデンテという言葉を覚えました。タクシーチケットは業務では使い放題だったですが、私用には全く使用せず、上も下もすべて割り勘です。当然のことですが、公私の別は厳しかったと思います。


まだまだ、書き足りず、思いでは尽きませんが、マレーシアの印象深い昼食とは?


ひとつあげるならば、TTDIのハーミー(プロンミー)でしょうか?プロンミーはどこにでもあるホーカーのメニュウのひとつですが、TTDIのホーカーの一角にあるそこは別格です。麺は私は所謂イエローミーではなく、ビーフンで食べます。ビーフンのほうがスープが絡まっておいしく感じるのです。名前はついているのでしょうが、ホーカーですからわかりません。そこの店主のお嬢さんは日本語を勉強しているそうで、日本人と知って、話しかけられたことがありました。がんばってほしいものです。


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